其四十七
合掌、ありがとうございます。
普段の生活の中でふとした瞬間に色々な想いを巡らす時があります。自分は何にも引っ掛かっていないか。何に対しても執着をしていないか。自己の勝手な物差しによって物事の善悪を判断し、優劣をつけていないか。そしてその結果、自縄自縛に陥っていないか等と考え込んでしまいます。
昨日、『生長の家青年会 東京第一教区青年会西南地区』におきまして第一回目の学習会が開催されました。僕は派遣講師として来て頂いた教化部長先生に、“久遠の今を生きるのにはどうしたらいいのか”という質問をしました。先生は正しき神想観を先ず何よりもおすすめ下さいました。神想観をする時に特に気を付けておくべき点は“呼吸”と“姿勢”であると仰っていました。呼吸は常に複式呼吸を心掛け、姿勢は背筋をピシッとして、斜め上を観る感じで顔を少し上げます
背筋が曲がり下を向くのは、今現在、何か現象的なものに囚われている可能性があるのだそうです
そしてまた音楽・芸術鑑賞もおすすめ下さいました
何も考えず、余計な知識を思考に介在させず、口頭に感想や意見を出さないのがポイントだそうです
そして結果、それらは右脳を刺激することに繋がります。左脳を使い理論でもってして、時系列で物事を判断していたのでは、右脳は活性化しないのだそうです。このように神想観を正しく実践し、右脳を活性化していくことで、五感(五官)・六感を超えた瞬間を観じることができ、またその回数も増えるようです。他の人からも色々と質問がありましたが、先生は基本的には神想観をおすすめされ、その大切さを懇々と説かれていました。そして自己の中でさらに現象で習った神想観という一つの坐禅観法ではなくして、それにも引っ掛からず、それを超越した神想観を行じていきたいと感じました![]()
そして結局、私たち神の子・人間は未だ嘗て実相においては何にも引っ掛かっていないのが真実です。現象における善悪・優劣や現象界において消え行く運命にある最高価値のものにさえ引っ掛かった事はないのです。私たちは、はじめなきはじめから神により出発し生じたもの、すなわち真・善・美を完全に備え、実相(そのまま)を顕されたものだけに包まれているのです
美辞麗句を並べその通りに我の力で生きても、口先だけで実際生活が伴わなくとも、論理によって打ち負かし、打ち負かされてもやっぱり神しかなく、真理しか実存として適わないのです。現象(偽象)を否定し、投げ捨てた先に、ただ残るものこそ神であり、そしてそれは縦横無尽・尽十方・東西南北・四方八方、すべてのすべてを隅々にまで普く輝かせ続ける御光なのです![]()
ありがとうございました。
再拝
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


最近のコメント